2020年6月1日 掲載
フェイスシールドと聞いて「でこぼこのうちわ」を想像してしまったことから、情報をテキストにすることの重要性を説くくだらないかもしれないコラムです。
でこぼこしたうちわみたいなものですか?
「マスクがないない!」と大騒ぎののちに、フェイスシールドなるものの話題が降ってきました。このご時世なのでその用途はすぐに理解できたのです。そして、私はたった一人でコンピュータに向かう日々ですから、誰かのしぶきを浴びることも誰かにしぶきを浴びさせることもなく、ふ~んと思って聞くにとどまりました。
私がそのものを理解するときの特徴として、「画像で記憶する」というところがあります。見えていた経験があるからでしょうか、なんでもテキストというよりは画像で記憶にとどめています。
このたびのフェイスシールドも例にもれず、画像で記憶がされました。その姿とは「でこぼこしたうちわ」だったのです。
ああ、農家のオバサンがかぶっているみたいな
自粛が解除され、周辺の人々が社会に出始めました。「マスクは熱い」とか「マスクが嫌いな人もいてね」という話題の中で、フェイスシールドが再登場したのです。
ところが、私が記憶したフェイスシールドの形状では手がふさがれて、何か不便な感じがします。そこで改めて聞いてみたのです、「あの~、フェイスシールドってどういうものなの?」と。
周辺の人々の話によると、カチューシャのような感じで装着し、顔を透明なシートで覆うものだということです。「ふむ、農家のおばちゃんが日よけにかぶるやつの透明版を反対にかぶったみたいなやつですか?」という私の解釈に、戸惑いながらも同意する周囲の人々。
代替テキストの沼
テレビでもラジオでもインターネットでも何度となく「フェイスシールド」の話題は耳にしました。しかし、実際のそのものをきちんと理解できていなかった事実があります。
Webページにフェイスシールドの写真があったとして、きっと「フェイスシールド」と代替テキストを付けてくださっていたと思うのです。それでも、私のような状況があって、だからといって代替テキストとしてフェイスシールドの説明まで求めるのはやはり過剰でしょう。
代替テキストは、付けたは付けたでまた奥深い沼にはまっていく厄介なものですね。
今さらですが「ハンカチ王子」のこと
フェイスシールドはモノですから、インターネット上を徹底的に徘徊すれば、その形状を正しく解釈できる説明を集めることはできると思います。しかし、モノではなく動きの場合はその期待ができません。
たとえば「ハンカチ王子」です。未だに彼のハンカチっぷりがわからずに、私の記憶の動画が止まっています。
マウンドのピッチャーがハンカチで汗を拭うしぐさとはいったいどのようなものなのでしょうか。当時、私がさまざまな情報から知り得たことは彼が使うハンカチが青いらしいということだけでした。
グラブとボールが手にある状況で、ハンカチはどこから登場するのでしょうか、そのハンカチはたたまれたままで拭うのか、それとも広げて拭うのか。拭ったあとのハンカチは再びどのようにどこに収納されるのか。その所作はあでやかなのか荒々しいのか。フェイスシールドと聞いてでこぼこのうちわを想像するほど、ハンカチ王子のしぐさはすんなりと動画にならなかったのでした。
画像と動画とテキストと
そのようなわけで、代替テキストに限らず、情報として何をテキストにしておくかということは重要です。見えない人の物事の解釈というだけでなく、後世の記録としても記事執筆時の心得にしていきたいものです。