2024年5月7日 掲載
「リンクラベルは女の人の声で聞こえてきますよ」
2000年ごろに私が初めて音声ブラウザ(音声読み上げソフト)に触れたとき、「リンクラベルは女の人の声で聞こえてきますよ」と教えられました。あのとき以来、上下の矢印キーやTabキーでウェブページにあるテキスト(文字部分)を追い、女の人の声を手がかりに次へ次へと進む毎日を過ごしています。
「女の人の声」じゃないところをクリックする私
ところがです。近ごろは「女の人の声」だけを頼りに進んでいるわけではないことに気づきました。
そもそも「女の人の声」だって、リンクラベルをそのように読み上げさせるようにこちらが音声ブラウザを設定しているだけのことであって、一般的なルールということではありません。スマホやタブレットにそのような機能がなければ、声色で判断はできませんので。
それでも、私の環境では「女の人の声」でリンク設定部分の抽出が可能であり、そこをポンポンとクリックして進んでいることは事実です。だけどこのところ、私は「女の人の声」じゃないところを幾度もクリックしています。その頻度は増しているようにも感じます。
よく出会う「女の人の声」じゃないところ
昔は「女の人の声」じゃないところをクリックしようなんて思わなかったし、しても何も起きませんでした。それなのに、今そこをせっせとクリックする理由は、そこをクリックしてみないことにはなにも起きないからです。
開くためにクリック
たとえば「メニュー」と聞こえたら、それはちょっと前まではいわゆるメニュー群のタイトルとしての「メニュー」だったけれど、今はメニュー群をひらくためのそれであったりします。リンクではないから「女の人の声」で聞こえてこないので、ただのタイトルか開くボタンかはこちらで判断しないといけません。
切り替えるためにクリック
幸いメニュー群のようなもの、カテゴライズされた何かが並んでくれていることがあっても、それらが「女の人の声」でないことがあります。何かをわかりやすくまとめてくれているのだなと感心しながら読み進めるけれど、その先に何も内容がなくて戸惑うことがあります。
あれ?待てよと思って、試しに先ほどの「女の人の声」でないところをクリックしてみると、ビヨーンとその先が現れるってな仕掛けです。このように、ページ遷移というよりはその先が切り替わるタイプにもときどき出会います。
何だかわからないからクリック
最近、最も困っているのは、ここに並んでいるはずなんだけどようわからんという表示です。たとえば、そこには新着図書やよく見られている動画などが並んでいるらしいのだけれど、音ではまったく情報が取れないというものです。
周辺のクリックできそうなところを適当にクリックすると詳細ページが開くことがありますが、全部を一旦開いて確認することの面倒くささはご理解いただけるでしょう。でもそうしないとわからないつくりのページはときどきあります。このようなページは、スマホアプリに多いような気がしています。
まるで2000年代のデ・ジャ・ヴ
情報のパーソナル化や即時性などで、多くの人々にとっての情報収集の利便性は増していると思います。見えない私も以前と比べると驚くほど便利に利用できています。
しかし、一部には2000年代に「女の人の声」でファイル名を読み上げていたころの、すなわち、代替テキストがめちゃくちゃだったころの様相に戻っているようにも感じます。
スマホアプリやそれを由来とするウェブページが退行してしまうのはどうして?
ウェブアクセシビリティへの意識は高まっていて、法律や規格もそれなりに整っているのに、スマホアプリやそれを由来とするウェブページが退行してしまうのはどうしてだろうと不思議に思います。
即時的な情報を表示するのにそのような不具合を排除することができないとか、音声ブラウザや読み上げ機能がウェブページの進化に追いついていないとかいう理由があるのでしょうか。私は、これまで成熟してきたままにルールに基づいてつくれば問題は生じないだろうと思うのですが違うのでしょうか。
と、不満を並べ立ててはみましたが、実際の私は満足しているのかもしれません。不具合に不満は感じても、多分そこに必要な情報があると感じられること、そのことに私は満足しています。存在に気づくから不満を感じるのであって、存在に気づけていなかったらそれこそ悲劇ですからね。