入力のジレンマ

2020年5月7日 掲載

とにかく、正しく書きたい!見えなくても見える以上に正しく。その思いが薄れつつあるこのごろのお話です。

視覚障害者あるある

Appleのアシスタント「Siri」が「尻」になってしまったり、絵文字の読み上げを「にっこり」などとそのまま書き記してしまったり、変換ミスと勘違いには苦しめられているというか、苦しみを感じないまま恥をさらし続けてしまうことが多々あります。

よくしたもので、合成音声に慣れてくるとイントネーションの違う同音異義語には気づくようになります。しかし、イントネーションが同じだとお手上げです。また、ひらがなで表記したいところが漢字になってしまったときなどは、変換のタイミングで処理できないと私の場合は永遠にそのままです。

入力の難しさがタブレットを遠ざけた

言い訳にしかなりませんが、文字入力の難しさは、私のタブレットへの道を遠く遠くしたと思います。

何らかの方法で文字入力ができないことには、Safariで検索することもメールやLINEで誰かに何かを伝えることもできません。タップとスワイプだけでどこまでいけるかもやってみましたが、当然限界がやってきました。

「だっかっら『音声入力』すりゃいいじゃん」

スクリーンキーボード、私の場合は画面の下にいわゆるローマ字キーが表示されるものをふわふわした足どりならぬ指どりで、しばらくはボツボツとテキストフィールドに打っていました。間違えては削除キーを探るのに一苦労です。肩も背中も頭も見えない目までくたくたです。

そんな姿を見かねて周囲の人間は言うのです。「だっかっら『音声入力』すりゃいいじゃん」と。

だけど嫌なわけです。意図しない言葉が入力されて訂正するのも嫌ならば、誤字や変換ミスが確認しきれない感じも嫌です。
変換のたびに慎重に入力してきた私にとって、そんなあいまいでいい加減な入力方法が許せるはずがありません。これまでの盲人生が否定されるくらいのシステム変更です。

だけど慣れちゃったのよ音声入力に

だけど、今は何の抵抗もなく音声入力をしています。振り返ると笑えてしまう程度のちっぽけなプライドです。

まずは、誤字を気にせず入力することにしました。なぜならLINEの「既読」や返信のスピードに、私の入力スタイルでは追いつかなかったからです。人々は文字でも口頭会話くらいのスピードでやりとりをしていたのですね。驚きました。

そのうちに、音声入力したときの認識は、私が思っていたよりも正確にしてくれるのだということに気づきました。私も正しく認識してもらえるような文章を考えますが、それにしても相当正しく文字起こし?をしてくれます。

そして、初めて取り組むその瞬間というのは、どうしても「そのうち慣れる」ということを忘れがちなもので、例にもれず慣れてきたのです。いつまでも意図しない入力や変換ミスが続くわけではありません。入力中にカーソルを移動させることも、その文字を読み上げさせることも、その文字を削除することも、正しい変換候補から選択することもちゃあんとできるようになって、スピードも上がって、肩も背中も頭も目もくたくたなままではないのです。

テレワークとかリモートワークとか

この度は、返信のスピードに迫られて文字の音声入力を習得したところです。

新型コロナウィルス感染拡大防止のために出された緊急事態宣言を受けて、あらゆる職業や分野でテレワークやリモートワークが行われています。これらのことと私の音声入力習得はとくにかかわりがあるわけではありませんが、テレビやラジオの番組にリモート出演する人々の様子を聞いていて、こうした変化にスマートに対応できるといいなあと感じました。

そういう意味では、ちっぽけなプライドを乗り越えて?新しいことにチャレンジしてみたことは、変化の世の中を何とか生きていく勇気になることはなったような気がします。