あけましておめでとうございます。
新年のユニバーサルワークスは、Twitterの代替テキストに関する優しいエピソードの共有から始まりました。
優しいエピソードの共有
当社のスタッフによると、Yahoo!のリアルタイム検索にランキングされていた「体言止め」が気になって調べてみたところ、鴻上尚史さんのツイートにたどり着いたのだそうです。なんでも、成人式に寄せた文章が編集者とのやり取りでボツになってしまったとか。
でも、せっかく書いたからツイートしますと。
ボツの原因が「体言止め」だったようです。
そして、このコラムに取り上げたい話題はここからです。
当社のスタッフは、そのツイートをしばらく追ってみたのだそう。
すると、せっかく書いたというその文章は画像で示されていたもので、ある人が代替テキストをつけてほしいと返信したみたい。そうしたら鴻上さん、やってみたのだけど1,000字を超えてしまって無理だったと。するとどこからか、それを二分割して代替テキストをつけてくださる人が現れて……。
広く深く自然に
当社としても私個人としても、このエピソードには感動を覚えます。
画像では情報を受け取れない誰かが読みたいよーと発言できること、鴻上さんが代替テキストをつけようとやってみてくださっていたこと、ならばこうすればいいのではないかと読めない人への代替手段を提供してくださる人が現れたこと。
その情報をどう扱おうかと、人々が広く深く実に自然に検討しているさまが伝わるエピソードでした。
さて、このたびはこれでよかったと思います。
その1,000字越えの文章は多くの人が読みたかったものでしょう。
140字の世界
しかし、見えない私がTwitterを思うとき、それはやはり140字の媒体なのです。
ツイッターで情報収集をするとき、画像で内容の趣旨を示していると思われるツイートに出会うことがあります。キーワードだけでもテキストにしておいてくれたらと思うことは少なくありません。
そこに、いつからか代替テキストの機能が加わってありがたいと感じていました。でも、たとえば漫画などのツイートに、事細かに代替テキストがついているものに出会うと、読み手としてはリズムの崩れを感じることがあります。
「Twitterを見ているぞ」というモードになっているところに超長いツイートが聞こえてくると、おおよそ140字と想定して読んでいるリズムがガタガタと崩れるのです。
媒体によって代替テキストに工夫が必要かも
代替テキストをどう付けるかということについては、このコラムでも幾度となく触れてきました。
ここにきて、Twitterの代替テキストを考えてみたとき、どう付けるかという問題に加えて、媒体によってその特性に配慮する必要があることにも気づきます。
反対に、InstagramやTicTokなど、見えない私にはわからないものと決めかけている媒体にも、もしかしたら工夫の余地があるかもしれません。
経験と時間による解決
ウェブアクセシビリティに、一応の正解は存在します。
それは、法律であり規格でありルールでありますが、その先のあり方、利便性や美しさやよりよさといったところは、経験と、それから時間が解決するのかもしれません。
幸い、私は経験を持っています。
画像によるリンクボタンが、全部ファイル名だったころからウェブサイトを音声で閲覧してきた経験が。そして、このたびのエピソードは、時間による解決の一例だったのではないかと思います。
おそらく、アクセシビリティの向上を主眼にしたものではなかったと思うのです。なにか自然に対応しようとした、普通のこととして展開していったことだと感じます。そういう土壌のようなものが、いま、この世の中には備わったのではないか。
新年にあたり、この土壌のようなものに私の経験を重ねて、よりよいウェブメディアが増えますよう精進したいと思っています。