ICT教育のお年玉

年が明けました。当社でアクセシビリティアナリストをしています、当コラムの筆者で全盲の視覚障害者、清家やすよです。今年もよろしくお願いします。

今年の一発目のコラムは、そんな私からのありがたいお年玉です。全国の児童・生徒のみなさんへ一言でお伝えしてみようと思います。

一言ですから一言で

一言と言ったからには一言で済ませなければいけません。
全国の児童・生徒に告ぐ、「コンピュータは夜にやるな!」、以上です。
いかがでしょうか。すんなりと納得してもらえましたか。

避けられない、だけど怖い

今やコンピュータくらい操れなければと誰もが思うところです。しかしながら、その利用がいじめのきっかけになったり、多額の支払い請求につながったりと、与える側も使う側も不安が残るというのが正直なところでしょう。

一方、学校の現場ではデジタル教科書やプログラミング教育の導入、教化としての「情報」が新たに加わるなど、教科指導として実践していかなければならない段階にあるようです。

理科の観察記録

ある小学校の先生から、理科の観察記録の方法として、手書きのイラストや文章ではなく写真の挿入やキーボードによるタイピングで実践してみているという話を聞きました。

これは、私の想像を超えていました。

学校というところは、その目によりよく観察をし、だからこそ細部に注目できるのだ、その観察眼が手書きのイラストに表れ、そこに成績という名の評価が下る、というような古典的な指導と評価が繰り返されているものと思い込んでいたからです。

道具の選択肢

この紙と鉛筆でなくていいという事実が許されるのならば、ぜひとも増やしてやってほしいものがあります。それは、教具や教材、文房具の選択肢です。

私は見えないので、あらゆる情報を音や形にしてインプットします。アウトプットも多くは音を媒介して文字に変えています。この音による媒介で、情報の取得も成果物の共有も標準的にはできるという経験値を持っているところです。

時間を一定にして評価

このことから、たとえば五体満足なお子さん方の中にも微妙な差異はあるんじゃないか、あってもいいんじゃないかと感じています。つまり、手書きが好きな子とそうでない子、観察眼を活かして絵にしたい子と文にしたい子、両方いていいだろうと思うのです。

こうなったとき、従来の手書きの観察記録は手書き派や絵派の子には成績上有利ですが、ノン手書き派や文派の子にとっては不利と言えるのではないでしょうか。

ですから、私はここに選択肢を入れてやってほしいと思います。先生方は評価が難しくなるのかもしれませんが、時間を一定にしてやればいいではありませんか。どの子の成果物も同じ時間をかけて表現したものです。それを先生という一定の専門性で評価すればいいだけのことだと思います。

先生はいわゆる情報の専門家にはなれない

情報教育の必要に迫られ、先生方が苦悩されていることを知っています。ですが、たとえば高校の「情報」の先生以外は情報の専門家を兼ねることはできません。それは、私や私の所属する会社や業界がその専門性を価値にして仕事をしていることを考えればすぐにわかります。

ですから、先生は自分のご専門の教化や学校教育・経営の分野の専門性を磨いてください。いわゆる情報のスキルを上げようと邁進するのではなく、上記にあるような児童・生徒さんの成果物を正しく評価する方の専門性を磨いていただく方がよっぽど情報教育に役立つのです。

「コンピュータは夜にやるな!」の解説

コンピュータが避けられない方面の話が長くなってしまいました。お年玉の目玉である「コンピュータは夜にやるな!」をを保護者向けに解説しておきます。「コンピュータは夜にやるな!」は、コンピュータは避けられない、だけど怖いの「怖い」について私がつくった格言です。

いじめにつながる何かや高額請求につながる何か、つまりよからぬことというのは、真夜中にやってくるのです。よく眠り、ついでにしっかり食べて健全な心と体で取り組めば、そう簡単によからぬことにはまりはしないだろうと考えています。ですからこの格言は、コンピュータの真夜中の使用を避ければ大抵のことは防げるだろうという根拠があるんだかないんだかよくわからない考えでつくりました。

一番の安全は使用しないことです。しかし、怖さを避けるため、安全のためにコンピュータを使わないという洗濯は損失が多すぎます。そして、教育の中に存在する以上、現代の若者が避けて通れない現実があるのです。

であるならば、正しい使用をするほかないわけで、それをシンプルに小学生くらいの小さいお子さんに伝えようとすると、「夜にやるな!」となるわけです。

ヒカキンさんとおなじことを言っているんだけどな

児童・生徒のみなさんにとってありがたいお年玉になったでしょうか。なっていませんね。『文藝春秋』という月刊の雑誌があります。この雑誌の2022年1月号に、みなさんに大人気のヒカキンさんが記事を書いていました。

ヒカキンさんは人前に出ることが苦手なんだそうです。だけど、YouTubeならば人前でなく、カメラの前で話せればいいからユーチューバーになれたと言っていました。もしも人前に出ることが苦手でなければお笑い芸人を目指せたんじゃないかとも。ヒカキンさんのYouTubeは、私が言うところの選択できる道具の一つということです。

そして、その記事の中に私よりも重要なメッセージを残してくれていたのでここで紹介しておきます。それは、「一度ネットに上げたものは一生残る」ということです。コンピュータ使用の先、アウトプットの場としてインターネットを考えている人はこの点に十分気を付けてください。

今回取り上げたヒカキンさんの記事は、紙の雑誌を買わなくてもこちらで読めます。

ヒカキンができるまで HIKAKIN|文藝春秋digital

ページを最後まで送ってみるとわかりますが、記事の全文を読むにはお金がかかります。このように、魅力的なコンテンツにはお金がセットになります。それらの利用をするときには自分の頭で本当に必要かを十分考え、必要だという結論が出たらおうちの方と相談して買うようにしましょう。

ヒカキンさんにお手伝いいただいて、私からのお年玉が立派に完成しました。若い人の未来も、それを取り巻く我々大人の日々も素敵なインターネットライフとなりますよう祈りつつ、新年のごあいさつとさせていただきます。