正解のない代替テキストの沼

ドラマ解説放送の進展と議論の発端

私が視覚に障害を持つようになった頃、ドラマの解説放送はNHK制作のものや「火曜サスペンス劇場」に限られていました。しかし最近では、民放各局も全てではありませんが、多くのドラマに解説放送がつくようになり、大変ありがたく感じています。

そんなドラマの一つ、2025年4月期にTBS系で放映された『対岸の家事〜これが、私の生きる道!〜』のワンシーンが、私と当社の“代替テキスト職人”との間で議論になりましたので紹介します。

コーヒーのアイスとホットが示唆するもの

議論の発端は、『対岸の家事』の最終回放映後に私が読んだ次の記事でした。

多部未華子「対岸の家事」最終回〝大団円〟で終わらず視聴者共感 コーヒーの温冷で心理描写 | 東スポWEB

この記事によると、喫茶店のシーンで登場人物のコーヒーにアイスとホットの違いがあり、それが心理描写の一つではないかというのです。具体的には次のように書かれていました。

最初に大きく映った中谷のアイスコーヒーグラスは理恵に対する冷淡さを暗示し、2度目の面会でのホットは氷が解けて態度が軟化したことをうかがわせる。詩穂の心理描写にはコロッケが登場するなど、飲食品が巧みに使われた。

見えない私が解説放送版のこのシーンを聞いていても気づきようがない状況を、この記事は教えてくれました。なるほど、そうだったのか。もしそうなら私もこの記事のライターの解釈に賛成だし、こういう記事を書いていただけると作品に深みが出るなと感激し、社内にこの記事をシェアしました。

すると、社内で“代替テキスト職人”が言うのです。「コーヒーのアイスとホットの違いは解説してくれていないの?」と。「うん、そこまでは言っていなかった」と私。「でも、この記事によるとアイスコーヒーグラスは大きく映ったんだよね」と。つまり、大きく映ったのならそのことを伝えるべきだと、当社の“代替テキスト職人”は言いたいのでしょう。

「野暮」か「必要」か?深まる代替テキスト論争

実際のドラマ解説は、登場人物の行動や行為、たとえばうつむいているとか、うなづくとかを伝えるだけで精一杯です。ドラマは解説内容を台詞にかぶせられないため、情報量に限界があるからです。

そして私はもっと単純に、そんなことまで伝えてしまったら「野暮」ではないか、と思ったのです。しかし社内では、「だって大きく映ったんでしょう」と「野暮だろてやんでい」が繰り返され、正解が出ないまま現在に至っています。

「ないこと」を伝える難しさ

ドラマの解説を考えることは画像の代替テキストを考えることと似ているな、そしてドラマの解説の方が職人の道を極めるのに向いているかもしれないなと思うこと数日。今度はフジテレビ系月9で同時期に放映された『続・続・最後から二番目の恋』のワンシーンが気になりました。

還暦世代の女性3人が会食をするシーンで、3人のうちの一人にいわゆる誤爆メッセージが入ります。彼女たちの会話の内容から、そのメッセージにすごく嫌なことが書かれているらしいことは見えなくてもわかりました。

当然のように気になるのは、具体的に何と書かれているのだろうということです。私だけでなく、このドラマを見ている人はみんな気になるはずだと思ったところで懸念が発生しました。そうか、ひょっとしたらみんなには見えているのかもしれないと。

この作品にも解説放送版がありましたので、私はもちろんそれを聴いていました。なので、もしメッセージの内容が映し出されたのならば、その内容は解説してくれるはずだと素直に思えました。思えはしたのですが確証は得られません。いつになっても、永遠に得られないのだと絶望しかけたそのときです。次の記事を見つけました。

『続・続・最後から二番目の恋』誤爆エピにネットざわつく 「ダメージ大」「長く働くって大変だよな」「最近はワザと」:中日スポーツ・東京中日スポーツ

ここに答えがありました。

誤爆の内容は描かれなかった。

この一行の尊さを私は皆さんに伝えたい!

けれども……と、私には別の悩みが発生しました。そこにないことをドラマの解説や画像の代替テキストに反映させるのってどうすればいいんだろうと。そこにそれが確かにないことや、私は選びたくないそれを確かに選んでいないことをしっかりちゃんとはっきり確認したいことがときどきあります。でもそれは、それがそこにあることを正確に示すことよりもやりにくいことだなと思うのです。

こうなるといわゆる沼で、こういうときはこうと明確なルールを言葉で示すことが困難になってきます。代替テキストごとき、あえて「ごとき」と言わせてもらうけれど、「ごとき」もほとんど芸術の域だなと感じるのです。

外部情報との連携で深まる理解

そんな芸術が簡単に出来上がるわけがないので、合わせ技という手もあるのではないかと私は思います。

その解説や代替テキストに限界があったとしても、たとえば今回紹介したようなさまざまな情報を別に得ることによって、そのことがわかるというのもすごくいいと感じます。誹謗中傷はよくないですが、見える皆さんがその目で見たこと、感じたこと、解釈したことを伝えていただけることが、見えない私の素朴な疑問やちょっとした絶望を救ってくれていることをお伝えしておきたいと思います。