年頭にLINEができるようになった報告をしました。今回はその続報です。寛容さを焦点に語りたいと思います。
文化庁の「国語に関する世論調査」というものがあります
文化庁の「国語に関する世論調査」というものがあるのだそうで、先日、2019年度の結果が報道されていました。
この調査によると、20年前と比べて「国語が乱れている」と感じる人とそうでない人の割合が20ポイントずつ増減しまして、乱れていないと感じる人が増えつつあるようです。実際の割合は乱れていると感じる人の方が多いので、どちらかと言えば乱れているのでしょうけれど、寛容さが広がっているのではないかという見解でした。
私的な連絡ツールとしてのLINEの続報です
遅ればせながらLINEを使い始めまして、私的な連絡手段としては便利に利用しています。
その手軽さや履歴の感じですとか、お返事はともかく読んでもらえたかどうかがわかるところなどはよくできていると思います。名前と時刻とメッセージのわずか数行のエリアに、そのすべてが詰め込まれているところは見事です。おかげさまで、VoiceOverの読み上げというか、「既読」の付き方や相手からのメッセージの反映のタイミングなど、私が心配していたところに何の問題もなく、本当に見事と言うほかありません。
LINE使用上の超私的な問題です
問題は私が発するメッセージ内容の方です。私なりにLINEの特性を意識しながら使ってみてはいるものの、時々失敗をします。
日常の会話自体が説明的であり、情報量が多めです。ですから、LINEかメールかとなると、メールにしておく方が無難な人間なのだろうと思います。そういう人間が、LINEにメッセージを入れようとすると、一つのメッセージで話題を完了させることが難しいのです。
では、分けようとなりますが、分け方やその順序にどこかおかしいことがあるようなのです。次のメッセージで続きを書こうとすると、送信する前にそれについての質問が相手から返ってきてしまいます。同じことを言おうとしても、続きにおけるそれとお返事におけるそれとでは文言が違いますので、それらを調整しているうちに会話の流れがおかしくなってしまいます。
相手はこちらの見えない状況や不慣れな状況を重々知っているのに、それでもこうなりますから、もう文化の域なのだろうと愕然としています。また、別のコミュニティや別のタイミングでは、こちらの状況を重々承知してくださり、重々承知のモードで会話が進むということもあります。そうすると、今度は一つの話題で1時間半ゆるゆると会話が続くというようなことになりまして、私がのろのろしてしまうためにこうなのだなあと申し訳ない気持ちになることもあります。
許される「国語の乱れ」であることを願ってしまいます
こうした「文化の域」や「申し訳なさ」を全部ひっくるめて許される「国語の乱れ」であるならば、私のような人間ももう少し堂々とSNSの世界に入っていけるような気がします。
今のところ、このおぼつかなさですので、SNSをビジネスの連絡ツールに昇格させることができません。年内には(?)ビジネスの連絡ツールとしてのSNSデビューが会社に承認されるよう精進してまいります。