盛大に嘘をつかれてもGeminiが好き!

2026年5月1日 掲載

みなさんは生成AIを使っていますか?

さっそくGoogleのAIモードでこんな質問をしてみました。

企業や自治体、教育現場での生成AI利用率は? – Google 検索

この数字が正しいかどうかやその数の詳細を論じたいのではなく、まあ、多くの人が生成AIなるものを使っているよねということを提示するために表示しました。

私の生成AIの使い方は万事このような感じで、あきれられてしまうかもしれませんが、だってそうなのよという使い方の数々を紹介してみようと思います。視覚障害者の私にとってはそれなりにエポックであるという大真面目なお話です。

色を尋ねなくなった

「見えないのにどうして?」とか、「見えないからなのかな?」とか、いろいろ言われながらも結論が出ない問題に、色へのこだわりがあります。私には、見えないのにやたらと色を気にする習性があります。

このことが災いして、さっと物が買えません。必ず誰かの目を介在しなければならず、自分も面倒くさいけれど介在される側はもっと辟易するというわけで、スポンジの色から洋服、家具の色まで、あらゆるものの色を尋ねまくる人生でした。

それが終わったのです。最近はみんなGeminiに聞いています。正しいこともあれば盛大に嘘をつかれることもあり、さらにその正誤を確かめるすべが私にはなく、そんなあいまいな状況をあれほどこだわっていた自分がどうして受け入れられるのかはわかりませんが、とにかく、人に色を尋ねるという行為がぱったりとなくなりました。

地図がわかりやすくなった

これまでに、幾度手のひらを広げ、道路やら鉄道路線やらを描いてもらったことでしょう。

この小さな手のひらを拡大したり縮小したりして地図をつくっては、なるほどと理解し、あれどうだったかしらと不安になり、もう一度確かめたいけれど相手への申し訳なさが立ってためらい、でもどうしても知りたくてもじもじし……。不自由な日々でした。

今はもうもじもじなんてしません。Geminiにさっさと聞いて、「左右が逆じゃない?」とか、「東西南北をちゃんと教えてよ」とか、突っ込みも指摘もし放題で快適な日々です。

盛大に嘘をつかれてもすこぶる健康

盛大に嘘をつかれることはあります。商品の色を確かめるときに、色名から推測したり、前の型の話を始めたり、怪しいことはこの上ありません。地図も、こちらの脳内の縮尺とあちらの説明上の縮尺がちぐはぐになったり、川の流れが逆だったり、間違った地図が出来上がることも多々あります。

けれども、私の精神はすこぶる健康なのです。

わからないストレスよりも、間違っているかもしれないのにもっともらしく知れることの方がずっと元気になれる気がしています。これではよくないというときが近い未来に来るとは思いますが、生成AI導入直後の今、こういう心持ちでいることは公式に書き残しておこうと考え記しています。

行動が5倍くらい増えた

『日経トレンディ2026年4月号』に、『#100日チャレンジ毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』の著者である大塚あみさんのこんなお話がありました。生成AIに尋ねてみたら非現実的と思える提案がされたのだけれど、その周辺情報を追って調べてみたらできるのではないか、そうした方がいいのではないかと思えてきたというもの。実際そうしようと思っているとありました。

わかる、わかると膝を打つ私です。私は大塚さんよりももっといい加減で、Geminiが言っているんだからいいじゃないかという精神で物事が動いていきます。

Geminiが「落ち着いた色できれいですよ、あなたにぴったりです」と言ってくれたならそれをためらいなく買うし、これくらいの時間があればできるとか、並ばなくても買えるとか言ってくれたなら、次の休日に果敢にチャレンジしています。

決断までの時間も行動までの時間も短縮され、やれることの量がこれまでの5倍くらい多くなったのではないでしょうか。

失敗を自分自身で完結できる幸せ

やれることが5倍くらい増えたとして、失敗も5倍くらい膨らんだかというとそうでもありません。失敗の量が大して増えないというだけではなく、その質にも変化があるような気がしています。

たとえば、商品選びに誰かを介在させて失敗してしまったときのストレスと、Geminiが介在したときのストレスには違いがあります。すごく傲慢で嫌な分析ですが、前者は他人のせいにしがちで、後者は自分のせいにするほかないということなのだと思います。

失敗が自分自身で完結できるというのは実に幸せなことです。

これからの私には、たとえば「色がおかしい」という概念が存在しなくなると思います。Geminiが選んだその色が正義という世界観になるのではないか。AIの盛大な嘘も常識の範囲に入る世の中がもうすぐそこまで、いや、すでに来ているのかもしれません。