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アクセシビリティコラム

第84回 言葉で表すということ 後編

前編からの続き。

まずは、言葉で表すよい例の一つ目、これは何と言ってもラジオ放送だと思う。アナウンサーとかパーソナリティとかいう人々は、ラジオの前のあなたが見えていないことを前提としておしゃべりしてくれているのだから当たり前と言えば当たり前。今月末に失明10周年を迎える私も、見えないからってラジオっ子になるまいと気をつけてきたにもかかわらず、テレビとラジオを比べると圧倒的にラジオを聴取する率の方が高くなっている。そんなラジオ放送だが、現在より過去のものの方がよい。深夜のラジオ放送で、鈴木文弥さんというアナウンサーがインタビューされていて、その方は東京オリンピックのときにNHKラ ジオで開会式や競技の実況をされたアナウンサーらしいのだけれど、インタビュー内でその当時の実況記録が数分放送されたのを聴いて驚いた。すごくうまい。 今のラジオプログラムのすべてを知っているわけではないけれど、私の知っている限り、こんなに上手にしゃべるアナウンサーはいない。今のアナウンサーたちも、鈴木さんの自己研鑽を見習うべきだ。

視覚に頼らないラジオは言葉で表すことに長けていて当たり前だろうから、次はテレビ。私は橋田壽賀子さんの『渡る世間は鬼ばかり』は言葉で表すよい例になるドラマだと思う。日常の会話として想像すると、その台詞は回りくどすぎておかしいのだけれど、見えない私には重宝なのだ。台詞が長くて役者泣か せで有名な橋田さんのドラマ、それもそのはず、役者さんは表情をつくり行動しながら、それを会話にプラスして言葉にしている。つまり、怒った顔をするだけでなく、「怒っているんだ!」というような感じで表情や行動をちゃんと言葉にしてくれている。副音声が台詞に含まれるようなそんな脚本なのだ。聞くところ によると、夜、夕飯の片づけをする主婦がテレビ画面が見えなくても、音声だけでドラマの内容が理解できるように、橋田さんが工夫して脚本を書いているとの こと。というわけで、テレビといえども橋田さんの配慮がある脚本のドラマは、言葉で表すことに長けてしまっているわけなので、さらに次は、昨年たまたま耳にしたとびっきりの好例を挙げたい。

何かって、それはのりピーの初公判である。数少ない傍聴席をめぐり日比谷公園が大変になっていたアレである。あれほど大変な状況になるのであれ ば、どこか広い場所で公開裁判でもしてはどうかとか、リアルタイムで録画放送をしてはどうかとか、いろいろな意見が出ていたけれど、いつも通りの形であっ てくれたことで、ここにこうして紹介ができる。限られた人しか公判を傍聴できないので、テレビ局は各社いくつかの傍聴席をゲットし、記者が代わる代わる東京地裁の外に飛び出してきて法廷の様子をハアハア言いながら伝えていた。私はその日暇だったし、大好き“だった”のりピーの初公判ということでいくらか関心があったのでテレビを聴いていた。記者の伝えっぷりといったらものすごい。のりピーが入廷しただけで一人目の記者が飛び出してくる。髪型、髪の色、スー ツの形と色、メイクの具合、表情、指や足首のタトゥーがどうかまで近年稀に見る観察眼だ。すると、次の記者がやはりハアハアしながら飛び出してきて、今度 は受け答えの内容に加え、声量やトーン、どこで涙を流したか、大粒か小粒か、見開く瞳の大きさや口角の上がり具合までそりゃ丁寧な報道だ。

私はのりピーへの関心を通り越してあきれてしまった。いつもそうしてくれたまえと。前編で紹介したハンカチ王子しかり、たとえばエグザイルのあのマイナーコードの切なげな曲に合わせて14人もの男たちがどんなキレのよいダンスをしているのかとか、今年の大河は幕末ということで、時代劇よりはちょっ と近代化しているであろう福山龍馬はどんな容姿なのかとか、ディズニーの増え続けていく(?)キャラクター、たとえばスティッチとやらは動物でいうと何に 当たるのかとか、新聞記者とかライターは記述してみたい衝動にかられないのだろうか。というわけで、私がそのようなサイトを作りたいと考えているが、企画書がなかなか通らない年明けである。

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