「みんな」が使えるWebサイトへ

アクセシビリティコラム

第66回 創立5周年

見えなくなって職を失ったただの人が、『アクセシビリティアナリスト』といういろいろな意味で適当な役割を与えられて5年。Webアクセシビリティのかけらくらいしか飲み込めないまま始めたわりには長続きしている。何をしてきたかと問われれば遊んでいただけなのだから長続きも不思議ではないが、思いのほか楽しい5年間であった。

「遊んでいただけ」と言うと語弊があるかもしれないが、5年間を振り返ると遊びの中からしか成果が生まれなかったように思う。

私の場合、仕事だから日常的にアクセシビリティを考えていたのではなく、遊びの中でここはこれでは困るわというようにアクセシビリティを考えてい た。

突然見えなくなっても2、3年もすれば生活はそれなりに落ち着いてきて、少し余裕が出てくればテレビに出ているあの人が気になり、外へ繰り出すと なれば服装や化粧が気になり、おいしい食事が気になり、気の利いた手土産が気になり、挙句の果てに人間関係に悩み・・・。

そんなありふれた日常にそっとヒントをくれるのがインターネットであった。さらに、その情報へのアクセスしやすさを主張し、診断し改善しということを仕事にしてささやかながら職業人となれたことは、見えなくなって職を失ったただの人の心を十分に支えてくれもした。

この先も、遊びの中からしか成果が生まれないかもしれないけれど、これまでのように個人的な満足ではなく、いくらかは社会貢献できるような仕事ぶりをお見せしたい。つまり、個人的満足をいかに広められるかというところに力を注ぐ必要を感じているというわけだ。

見えなくても楽しまなくちゃ。楽しんで遊んでいる中に情報があって、有益な情報にたどり着けたり、たくさんの情報を得ることでバランスのとれた人間になれたりするのではないかと思う。私が偏った人間であったとしても、インターネットに触れられなかったときよりはましなのだと思ってほしい。だから、 凶悪事件が起きたときに、テレビの情報番組のコメンテーターは「ネット社会の闇」という言葉を軽率に使うな。ネット社会の光に助けられて生きている人もいるのだ。使い方によっては大変に有益なツールなのだ。『創立10周年』のコラムがあるかどうかは知らないけれど、そのころにはどこかのコメンテーターが 「ネット社会の光」発言を少しはしてくれている日本になっているといいな。

関連するコラムを探す

タグ: ,