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アクセシビリティコラム

第123回 アクセシビリティとデリケートな感じ

朝からずっと、拭いても拭いても涙があふれて、本当に久しぶりに「見えないってイヤだな」と思いましたので、コラムもお久しぶりの更新です。

コトの発端はコピー。やや多めのコピー。コピーをお願いしたところ、断られたということではなかったのだが、「それなら原本をもう一冊買えば?」的なことを言われたのだ。「いやいや、もう一冊買うのではなくて、指定したページのコピーがほしいと言っているの。」と心の中で思っていると、「買わずにコピーするのはどうしてか?」と聞いてくる。「いやあ、あんただって、いちいち『これはこういう理由で今からコピーしまーす!』なんて、社内、またはコンビニで宣言してからコピーするのか?」とまたもや心の中で思う。

そして、私の頭の中には「イチゴ」が浮かんできたのである。

もうずっと前だけど、苺狩り園に行ってイチゴ狩りをしようとしたところ、「イチゴが見えないのにイチゴ狩りしても意味がない」とイチゴ狩り園のおっさんに言われたのだ。そして、イチゴ狩りができなかった。それから、何となくイチゴ狩りを思うと悲しくなって、もうずっとイチゴ狩りをしていない。このときのおっさんは、特別に想像力が貧相だったのだと思うけれど、冒頭のコピー事件みたいに、似たようなことってたくさんあるよねと思うと涙があふれてくる。

意味があるか、ないかとか、どうしてそうするかとかって、「勝手にさせてよ!」と言ってしまうと本当に自分勝手な人だけど、でも、相当デリケートなことではないかと思う。そうでもないように感じるとしたら、きっと、意味があるか、ないかとか、どうしてそうするかとかを宣言する必要がないからだ。

私のように見えないと、お手伝いをお願いするたびに、そうしてもらいたい理由を多かれ少なかれ言い添える必要が常識的にあるし、私には意味があるのだけど、相手に宣言するのが面倒だったり、難しかったり、恥ずかしかったりすることは、宣言してまでやってもらうというよりはあきらめる方を選んでいる。宣言せずにやってもらいたいことの今のところ唯一と思われるコピーを、宣言せずにやってもらおうとしたところ、冒頭の失敗だ。もう二度と、意味や理由を宣言することなく望みが果たされる日は来ないのだと思うと、絶望的な気分になってやっぱり涙があふれてくる。

「アクセシビリティとあんたの涙に何の関係があるのか?」と言われそうで、私も的確な説明ができないけれど、アクセシビリティとこのデリケートな感じは結構関係が深いのではないかと思う。とりわけ、「情報」という観点でみるとわからないことが多い。ラジオはさすがにわかるけれど、テレビは全然わからない。CMで素敵な音楽が流れてきて、誰の何という曲か、あとでWebサイトで調べようと思って商品名に注耳?しているが、商品名は音では明かされない。「今の何のコマーシャル?」とそばにいる人に聞くと、「えっ、見てなかった。」とか「何で?」とか言われて、こちらも何となく苦笑いになりやがて聞かなくなる。近頃は歌詞がある曲なら歌詞を聞き取って、それでぐぐって、曲を知り、曲からCMにたどり着いているぜ!曲が知りたかっただけで、何のCMかなんてどうでもよかったけれど、自力で「ふーん」って思って、その思考過程を誰にも知られないというのはとっても心地いいぜ!!

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