第82回 ネット社会の闇

このたび、iPod touchなるものを触り、それを使用している様子を傍からうかがっていたところで、「これに電話の機能がついたやつがiPhoneだよ。」と言われて、 びっくりした。「もう、それは『携帯電話』って言わないのでは?」と心の中でつぶやいて、そうかあ、だから『iPhone』なのか、「Macの携帯電話」 なんて言わないもんなと改めて思った。

こんな調子なので携帯電話市場にあまり詳しくないが、詳しくない私でも『iPhone』は突き抜けている気がする。しかし、それ以外のメーカーの携帯電話も追いつけないまでも追いつけ追い越せでがんばっているはずで、私の未体験のいろいろなことができるようになっているらしい。詳しくない私がその ように思うきっかけというのはニュースにある。この間も小学生の携帯電話使用料の高額請求が話題になっていた。「携帯ゲーム」とか「グリー」とか「ソフト バンク」とかがキーワードとして聞こえてきた。そして、その後はお決まりの「小学生に携帯電話はまだ早い」という文言で閉められる。

本当にまだ早いのだろうか。それはまだおいておくとして、そのゲームが無料であると思っていたのに有料だったというのは困り者だけれど、親の監視下であったとしてもなかったとしても、あの小さな携帯電話をあれこれ操作し高額使用してしまうほど使える小学生が少しうらやましい。それなりにアクセシビ リティというかユーザビリティが確保されている証拠だと思う。

使用料の高額具合や依存性など懸念事項が多々あるのは認めるが、たくさんの人間が使用することにより、アクセスしにくいものや使いにくいものとい うのは淘汰されていき、よいものだけが残るというのは自然の原理だ。成熟には一番の近道だ。Webアクセシビリティももう少しアクセスに支障を受けている人間が積極的に使用してこそ成熟していくものと思うが、正直なところ、自然の原理で成熟するほどに利用人口を増やすのは難しい。そこで、私は思う、小学生 に使用してもらってはどうかと。彼らが直感的に使えるというのは、かなりアクセシビリティやユーザビリティが確保されていると考えてよいのではないか。人 間性も未熟かもしれないけれど、操作能力も未熟な彼らはテスターとしては優れている。

さらに、人間性が未熟なうちにそんなものをと言っても、彼らの将来にネット社会は欠かせない。PCや携帯が使いこなせない人間など一般の職業に就くのは難しくなってくると思う。DSとかWiiとかプレステとかゲーム系有名どころのインターフェイスくらい知っておく必要もある。なぜなら、仕事面だけではなく、家庭生活にも支障をきたす可能性があるからだ。ゲームを知らない親がゲームとの付き合い方を子どもに教えることは“絶対に”できない。「小学生にはまだ早い」と言う人間はいつなら早くないと思っているのか。そういう人間はそうした媒体を子どもから離すことに異常なほど積極的だ。子どもの方は徐々 に欲求が増え、爆発する。与えなかった反動は大きく、それこそネットの被害を大きくすると思う。というのは私の持論。「小学生にはまだ早い」論者は、 「ネット社会の闇」という言葉も大好きなようだ。だから、私は「ネット社会の闇」という言葉をCM前に吐くコメンテーターの言うことを一切信じないように している。